ナースリー12月予定
コロナ禍で予定の変更があるかもしれません。
その場合はこのホームページでお知らせします。
12月2日(水)クリスマスの製作をしましょう。
誕生会(12月生まれのお友達)
12月9日(水)お休み(園行事のため)
12月16日(水)ナースリークリスマス 2学期最終日
10:00~11:00
受付を9:45までに済ませてください。
参加くださる方はお家で検温ください。
*ビデオやカメラの撮影はご遠慮いただいています。
ナースリー12月予定
コロナ禍で予定の変更があるかもしれません。
その場合はこのホームページでお知らせします。
12月2日(水)クリスマスの製作をしましょう。
誕生会(12月生まれのお友達)
12月9日(水)お休み(園行事のため)
12月16日(水)ナースリークリスマス 2学期最終日
10:00~11:00
受付を9:45までに済ませてください。
参加くださる方はお家で検温ください。
*ビデオやカメラの撮影はご遠慮いただいています。
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
マタイによる福音書2章1 占星術の学者たちが星の観察をしている時、ひと際明るい星を見ます。それは書物によるとユダヤの地に救い主が生まれとの知らせと受け止めます。学者たちは自国から遠くユダヤの地へと旅します。治安のよくない時代です。危険が付きまとう旅です。日数を費やしてユダヤの地に着きます。ユダヤの地を支配しているヘロデ王に出会います。学者たちはヘロデ王に「ユダヤ人の王とし
12月の聖書の言葉
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
マタイによる福音書2章10節
夜空を見上げることは私たちの日常生活では見受けられなくなりました。電気のお陰で夜も活動を続けることが出来ます。電気が発明されていない時代、夜は暗く夜空には星が輝きました。学者たちとありますがマタイによる福音書2章1節「占星術の学者」たちと研究する対象が書かれています。星を観察して人々に情報をもたらせる仕事をしていたようです。住んでいる国はチグリス川とユフラテス川に囲まれた肥沃な三角地帯であったと想定されています。現在のイランの国です。ここで学者たちとの記述があり、人数は分かりません。複数であることは違いないのですが3人との数詞はありません。彼らが幼子イエスを礼拝し、黄金・乳香・没薬をささげたとの記述から、捧げものが3つ、そこで3人の博士と受け止められるようになりました。確かなことは分かりません。占星術の学者たちが星の観察をしている時、ひと際明るい星を見ます。それは書物によるとユダヤの地に救い主が生まれとの知らせと受け止めます。学者たちは自国から遠くユダヤの地へと旅します。治安のよくない時代です。危険が付きまとう旅です。日数を費やしてユダヤの地に着きます。ユダヤの地を支配しているヘロデ王に出会います。この王は実在し、他の記録によると紀元前4年に亡くなっています。学者たちはヘロデ王に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と語りかけます。ヘロデ王は不安を抱きます。自分が現在王であるので、新しい王が誕生した。ヘロデ王は家来に調べさせます。すると、ベツレヘムで生まれるとの旧約聖書の預言の言葉を見いだします。学者たちはヘロデからベツレヘムで生まれたとの情報を得て、エルサレムからベツレヘムに向かう途上で、ひと際輝く星が現れます。その星が導いて行きます。そのために学者たちは星を見て喜びにあふれます。私たちもイエス様の誕生を知らされて喜びにあふれます。また、この方が人生を導いてくださいます。
11月聖句解説
「いかに楽しいことでしょう。主に感謝をささげることは。」
詩編92編2節
下松幼稚園では11月16日(月)からアドベント第1礼拝を行います。月の聖句はこの日から変わります。アドベント第2礼拝(11/24)、アドベント第3礼拝(11/30)、そしてクリスマス礼拝(12/11)を守ります。クリスマスまでの期間をアドベントと呼びます。下松幼稚園では教会の暦より一足早くアドベントに入ります。クリスマスはイエス様が誕生された記念すべき日です。12月25日がクリスマスです。クリストス(キリスト)とマス(祭り)が重なって「キリストの祭り」との意味があります。祭りですから、参加する人々は喜びを感じます。キリスト教はローマ帝国時代、ユダヤの辺境の地で誕生し、少数グループでした。徐々にローマ帝国内に伝播し、紀元後3世紀にローマ帝国の国教になります。ローマ帝国内でキリスト教が国教になる以前から「太陽の祭り」が祝われていました。この日を境に日照時間が少しずつ長くなって行きます。そうです冬至の日が春の訪れを告げるしるしとなります。春が来るとの喜びの祭りでした。キリスト教側では、イエス様の誕生日が分かりませんでしたが、太陽の祭りの日をクリスマスに変えてしまいました。
園長 真砂 良克
この欄では月の聖句の解説をしています。短い月の聖句をお子さんたちに暗記をしていただいています。また、先生方に読んでいただくためにも解説をしています。また、保護者の皆様には聖書の言葉に触れて頂きたいと願って解説をしています。
11月の聖句は11月16日(月)アドベント第1礼拝からとなりますので、アドベントについて解説をいたします。アドベントは待降節という日本語があてられます。待ち望むとの意味があります。クリスマスまでの期間をアドベントと呼びます。下松幼稚園では教会の暦よりも一足早くアドベントに入ります。アドベント第2礼拝、第3礼拝、そしてクリスマス礼拝を守ります。通常、アドベント第1礼拝に保護者の皆様にも参加頂き、園児が退出した後、教会礼拝堂で園長がクリスマス感謝献金についてお話をさせていただいていました。今年度は新型コロナウイルス対策として、これを中止し、文章に変えさせて頂きます。
クリスマスは神様から人類へのプレゼントとしてイエス様が誕生された日です。キリストの祭りとの意味があります。祭りですから喜びに満ちています。アドベントの期間、お子さんたちが持ち帰った献金箱に、お手伝いや保護者の皆様を喜ばせることをされた場合に、お金を入れて頂きたと思います。また、保護者の皆様にもクリスマス献金袋をお渡します。私たちは、日々、平和な日常生活を送っています。世界には日々の糧を得ることの出来ない人々がおられます。また、戦争のために苦難を強いられている人日もいます。また、自国では生きられないで故郷を捨てた人々もいます。恵まれた生活に感謝して、経済的な支えを必要としている方々に用いて頂きたいと願います。お子さんや保護者の皆様からおささげ頂いた献金は全額、他の施設に送金させて頂きます。
園長 真砂良克
10月ナースリーだより
「いかに楽しいことでしょう。主に感謝をささげることは。」
詩編92編2節
「ありがとう」と言うと、それを聞く人やその回りにいる人々も楽しくなります。「ありがとう」と言葉を発する人は、心の底から喜びに満ち、感謝の思いを表現するからです。「ありがとう」は魔法の言葉です。言葉が発せられると一瞬にしてその場を明るくします。
10月の聖書の言葉は自分の気持ちを表現しています。この文言には神を礼拝する人々の共通する人々の共通経験が語られています。礼拝という公の場に参加している一人ひとりの心の内で、また体全体で経験していることが表現されています。礼拝する人々は共に一つの場所に集います。そこで、声を合わせて、神をほめたたえる詩を歌います。このようにして、神を讃美します。讃美の声は体全体から発せられます。人間の体は声を出す楽器とも言われます。神様への感謝がなされます。礼拝こそ喜びに満ち、明るさがあります。下松幼稚園は下松教会により今から92年前に生み出されました。礼拝をする群れは、神に感謝して、社会的な役割を果たしたいと願って幼稚園を開設しました。その良き伝統継承しています。
園長 真砂 良克
聖書 詩編92編2節
「いかに楽しいことでしょう。主に感謝をささげることは。」
「ありがとう」と言うと、それを聞く人やその回りにいる人々も楽しくなります。「ありがとう」と言葉を発する人は、心の底から喜びに満ち、感謝の思いを表現するからです。「ありがとう」は魔法の言葉です。言葉が発せられると一瞬にしてその場を明るくします。
私たちの住む日本の文化は、あまり自分の感情を言葉で表すことがありません。また、苦手としています。根強い文化的背景として江戸時代の鎖国政策があり、島国として、言葉に表さなくて分かり合えるとの考え方があります。江戸時代にはお国訛り(藩制度)があり、話し方でどこの国(藩)の出身かが判明しました。江戸時代から明治政府となり日本語の標準化を進めます。島国としてどうしても自分の気持ちを言葉で表現することが苦手なままです。ところが、10月の聖句は、何よりも自分自身の感情を表現しています。この文言には、神を礼拝する人々の共通経験が語られています。礼拝という公の場に参加している一人ひとりの心の内で、また体全体で経験していることが表現されています。礼拝する人々は共に一つの場所に集います。そこで、声を合わせて、神をほめたたえる詩を歌います。このようにして、神を讃美します。讃美の声は体全体から発せられます。人間の体は声を出す楽器とも言われます。神様への感謝がなされます。礼拝こそ喜びに満ち、明るさがあります。
下松幼稚園は下松教会により今から92年前に生み出されました。礼拝をする群れは、神に感謝して、社会的な役割を果たしたいと願って幼稚園を開設しました。その良き伝統を今日の下松幼稚園も継承し、日々、神をほめたたえ、楽しみながら、保育にあたることが出来ますことを感謝しています。
本日より2020年度下松幼稚園ナースリールームが
始まりました。ご自由にご参加ください。
なお、1学期は新型コロナウイルス感染予防対策とし
て中止しておりました。
参加下さる親子さんはご自宅で検温して、受付で結果
をお書きください。初めて参加下さる親子さんは幼稚園
入り口で検温させていただきます。また、保護者の方は
マスクの着用をお願いします。
ヨハネによる福音書15章15節
食事の席で、イエス様は、立ち上がり、たらいに水を汲み、弟子たちの足を洗い、腰につけていた手拭いで、足を拭きます。ペテロの番になると、拒みます。足を洗う行為は、当時、奴隷の仕事でした。師であるイエス様から足を洗ってもらうことなど出来ない、との思いからだと考えます。イエス様は、それでは、ペトロとの関係が切れてしまう。ペトロはそこで頭も洗ってください、と願います。しかし、イエス様は足を洗うだけでいいのだと言います。イエス様が弟子たちの足を洗ったのは弟子たちへの愛を示すためでした。
神様がイエス様を地上に遣わしたのは、このことを人類に示すためでした。弟子たちは互いに愛し合うことを教えられます。これから、イエス様がなされたように、生きて行きます。そのために、イエス様は「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」と言われたのです。神様の愛を知った人々が、イエスの友として、この地上で生きることになり、下松幼稚園にも伝えられました。9月の聖書の言葉がナースリーに集われる皆様にも伝えられます。幼稚園の庭で神の愛に触れて頂ければ幸いです。 園長 真砂 良克
わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
ヨハネによる福音書15章15節
「わたし」とはイエス様のことです。「あなたがた」はイエス様の弟子たちです。イエス様は弟子たちを招かれました。こうして師匠と弟子の関係が生じます。この関係は変わることはありません。将棋界で脚光を浴びている藤井聡太さんは棋聖(将棋界の8つのタイトルの1つ)になりました。師匠の杉本さんは藤井さんに何も教えることはありません、と言います。藤井さんは杉本さんを友とは言いません。必ず、師匠と呼びます。ところがイエス様は弟子たちを友と呼びます。師匠と弟子の関係ではなく同等の関係だと宣言します。この宣言文だけでは何を言っているのか理解出来ません。この文章の前の13章へと文脈を広げる必要があります。
ヨハネによる福音書13章でイエス様は食事の席で、立ちあがり、たらいに水をくみ、弟子たちの足を洗います。そして、腰に付けていた手拭いで弟子たちの足を拭きます。弟子のペトロはやめてください。そんなことをしてはいけません、と止めます。すると、イエス様は、今はわからないが後で分かると言って、足を洗い、拭きます。
こうして、イエス様は、弟子全員の足を洗います。当時、足を洗うことは奴隷の仕事でした。イエス様は弟子たちの足を洗うことで、一人ひとりを愛していることを示したのです。そして、あなた方も互いに愛し合いなさい、と戒めを与えます。愛し合う。これが神の子イエス様が、神様から与えられた使命でした。今や、弟子たちに互いに愛し合うことを示しました。これ以上、イエス様は弟子たちに何も伝えることがない。神様から与えられた使命を果たした。イエス様の使命を、これから弟子たちが受け継いで行くことが出来る。ですから、「わたしはあなた方を友と呼ぶ。」と言ったのです。神の愛を体験している者にもこの呼びかけの言葉が与えられています。