2019年12月1日日曜日
ナースリーだより(12月)
12月聖句解説
光は暗闇の中で輝いている。
ヨハネの手紙一1章5節
12月になると新しい年を迎える準備が
始まります。年末には大掃除をします。
子どもの頃に年末の大掃除は一大行事
でした。畳をあげ野外で天日にあてて
干します。畳をあげると小銭が出てき
ました。そのために大掃除となると進
んで畳をあげました。成人してから母
親が言いました。前日に小銭を畳の横
に入れて置いたと。雑巾がけをして綺
麗になると心も少しきれいになったと
思い ます。大掃除後は年越し、そして
新年を迎えます。新しい年を迎えると
お宮に初詣に出掛けて行きました。こ
のように大掃除、年末、年始と1年の
節目となる文化の中で育ち、教会に行
くようになると、1年はクリスマスを中
心としたものに変化しました。光は暗
闇の中で輝いている。光はイエス様の
誕生を現わし、イエス様の生涯を現わ
します。常に心の中が、光であるイエ
ス様に照らされ導かれます。毎年、毎
年、クリスマスを迎えます。木が成長
すると年輪を刻んで行きます。毎年、
年輪を刻み、高くなって行きます。ク
リスマスは光であるイエス様の持つ力
に触れる時です。少しずつですが、光
の持つ力に触れて、クリスマスが1年の
中心となり、時の流れることを体験す
るのではないでしょうか。
園長 真砂 良克
園長の言葉(12月)
12月聖句解説
聖書 光は暗闇の中に輝いている。
ヨハネの手紙一1章5節
下松幼稚園では、先月の11月18日(月)より一
足早くアドベントを迎えました。アドベントと
はイエス様のお生まれを待つ期間です。アドベ
ントクランツ(王冠)に4本のローソクを立て、
1週間毎に灯をつけるローソクを増やし、4本目
に灯がつくとクリスマスを迎えます。クリスマ
スはイエス様の誕生日です。とても嬉しく喜び
の日です。
教会の暦では2019年度は12月1日(日)よりアド
ベントに入ります。この日から教会の境内の入
り口に植えられた2本の樅の木の電飾が点灯さ
れます。暗闇になる前から点灯します。このよ
うに電飾を飾るようになったのも聖書の言葉が
目に見えるようになるためです。教会の目に見
える行事が一般へと波及します。
私の前々任地は兵庫県三田(さんだ)市内にあ
る教会と宗教法人立保育園でした。当時、三田
市は日本で一番、人口増加をする街でした。3
万余の人口が11万強へと増加しました。敷地
と家を建てるためには1億円必要とされるワシ
ントン村があり、その地域ではクリスマス時期
になると家々が電飾されて有名になり見学する
人々が多くいました。又、三田市内を流れる武
庫川に架かる橋と岸が電飾されることがありま
した。寒い冬の夜に灯がつくと喜びを覚えます。
しかし、ワシントン村も電飾する家が少なくな
って行きました。不景気になったからです。
ところが、教会では聖書の言葉を知ってもらう
ために、アドベントの期間、電飾をしています。
暗闇の中に光であるイエス様がいてくださるこ
とを知らせるためです。暗い、暗い世の中でも
光であるイエス様が希望を与えてくださるから
です。下松幼稚園は今から92年前に下松教会に
よって生み出されました。子どもたちに、光で
あるイエス様を通して希望を持って生きて欲し
いからです。
園長 真砂 良克
2019年10月30日水曜日
ナースリーだよりⅠ(11月)
光は暗闇の中で輝いている。
ヨハネの手紙一1章5節
ヨハネの手紙一1章5節
太陽の光を受けて地上には影が出来ます。
日陰は真夏の暑い日には避けどころとなり
ます。ですから日陰はとても大切です。あ
る心理学者は人格を形成しているN0.1とN0
.2があると言います。N0.1は自ら意識して
歩んで来たことだとしています。N0.2はそ
れまで意識により抑え込まれていて、果た
して自ら歩んで来たことが良かったのかと
自問自答して、これまで抑え込まれて来た
N0.2の意識が大きくなり、新しい自己を形
成する。この心理学者は自己実現という言
葉を生み出します。人生は長い。その歩み
で紆余曲折する。迷い、悩み、不安を覚え
る。心の中を覗くと暗い闇のあることに気
づきます。そのことを受け入れる。この心
理学者のお父さんは牧師でした。日々、生
き生きと生きていない。キリスト教の文化
で育ち、考え方、生き方をキリスト教の中
で身につけています。彼が語る自己実現と
は、神様と関わる自己。とても深い意味が
あります。自己実現とは神様が示してくだ
さる私になる。この世に生を受け、生きる。
命を与えてくださった神に感謝して生きる。
この事こそが自己実現だと言えます。
園長 真砂 良克
園長の言葉(11月)
11月の聖句
光は暗闇の中に輝いている。
ヨハネの手紙一1章5節
先に配布いたしました年間予定で11月
18日(月)はアドベント第1礼拝となって
います。第2は11月25日(月)、第3は12月
2日(月)、12月13日(金)はクリスマス礼
拝を守ります。教会では12月25日がクリ
スマスとなります。幼稚園では一足早く
クリスマスを祝います。聖句はクリスマ
スに関するものです。クリスマスはイエ
ス様のお誕生日をお祝いする日です。12
月25日となったのは次のような意味があ
ります。キリスト教はローマ帝国の時代
に誕生しました。最初は新興宗教として
迫害されます。皇帝ネロの時代、紀元後
64年、ローマに大火が生じます。3日間
燃え続けたほどのものでした。人々はネ
ロが仕組んだ大火だと噂します。皇帝で
あるネロはローマに動物園を作りたいと
考えていました。もし、火事が起こり、
広い土地が生じると、動物園を造ること
が出来る。この声がネロにまで聞こえ、
火付けの犯人はキリスト者であると断定
し、円形闘技場(コロシアム)で幼子か
ら老人に至るキリスト者200人程を処刑
します。流石にネロは批判されます。
ローマ帝国の迫害にもかかわらず、キリ
スト者の数が増え、ローマ帝国はキリス
ト教を国教にします。
東欧では冬至の日に太陽の祭りをして
いました。雪深い地方で冬至を境にして
太陽の出る時間が長くなります。春の訪
れを告げる祭りとして盛大に行われます。
この祭りがローマ帝国内に拡がります。
太陽の祭り。この祭りをキリスト教はク
リスマスとします。キリストの祭りとし
て、至る所でお祝いされます。キリスト
であるイエス様は太陽にもたとえられま
す。太陽の光は明るく地上では影を作り
ます。日中は雨や曇りでも厚い雲の上に
は太陽があります。また、月が光るのは
太陽の光を受けているからです。闇の暗
いなかでも月の光により暗闇では見えな
い物も見ることが出来ます。また、私達
の心の中の闇の部分に、光であるイエス
様が現われてくれます。目に見えるイエ
ス様としてではなく、イエス様の語られ
た言葉や、11月の聖句「光は暗闇の中
に輝いている」により、不安や困難や恐
れも、光であるイエス様により解消され
ます。
園長 真砂良克
ヨハネの手紙一1章5節
先に配布いたしました年間予定で11月
18日(月)はアドベント第1礼拝となって
います。第2は11月25日(月)、第3は12月
2日(月)、12月13日(金)はクリスマス礼
拝を守ります。教会では12月25日がクリ
スマスとなります。幼稚園では一足早く
クリスマスを祝います。聖句はクリスマ
スに関するものです。クリスマスはイエ
ス様のお誕生日をお祝いする日です。12
月25日となったのは次のような意味があ
ります。キリスト教はローマ帝国の時代
に誕生しました。最初は新興宗教として
迫害されます。皇帝ネロの時代、紀元後
64年、ローマに大火が生じます。3日間
燃え続けたほどのものでした。人々はネ
ロが仕組んだ大火だと噂します。皇帝で
あるネロはローマに動物園を作りたいと
考えていました。もし、火事が起こり、
広い土地が生じると、動物園を造ること
が出来る。この声がネロにまで聞こえ、
火付けの犯人はキリスト者であると断定
し、円形闘技場(コロシアム)で幼子か
ら老人に至るキリスト者200人程を処刑
します。流石にネロは批判されます。
ローマ帝国の迫害にもかかわらず、キリ
スト者の数が増え、ローマ帝国はキリス
ト教を国教にします。
東欧では冬至の日に太陽の祭りをして
いました。雪深い地方で冬至を境にして
太陽の出る時間が長くなります。春の訪
れを告げる祭りとして盛大に行われます。
この祭りがローマ帝国内に拡がります。
太陽の祭り。この祭りをキリスト教はク
リスマスとします。キリストの祭りとし
て、至る所でお祝いされます。キリスト
であるイエス様は太陽にもたとえられま
す。太陽の光は明るく地上では影を作り
ます。日中は雨や曇りでも厚い雲の上に
は太陽があります。また、月が光るのは
太陽の光を受けているからです。闇の暗
いなかでも月の光により暗闇では見えな
い物も見ることが出来ます。また、私達
の心の中の闇の部分に、光であるイエス
様が現われてくれます。目に見えるイエ
ス様としてではなく、イエス様の語られ
た言葉や、11月の聖句「光は暗闇の中
に輝いている」により、不安や困難や恐
れも、光であるイエス様により解消され
ます。
園長 真砂良克
2019年10月4日金曜日
2019年10月1日火曜日
ナースリーだよりⅠ(10月)
ほかの種は、良い土地に落ち、芽生え育って実を結ぶ。
マルコによる福音書4章8節
今からおよそ2千年前に生きたイエス様は「神の国」
が近づいたことを人々に語りかけました。イエス様
は、日本で経験することの出来る四季の変化と同じ
四季のあるガリラヤ地方で活動します。ガリラヤ湖
に近いカファルナウムを拠点として神の国運動を推
進します。ある日、ガリラヤ湖畔で、多くの人々が
イエス様の話を聞こうとして集まって来ます。あま
りの多さに押し潰されてはいけないと、イエス様は
舟に乗り、岸から離れ、腰を下ろし話し始めます。
全て譬えを用いて話します。
種蒔きが種を蒔きに出て行った。種は貴重なもので
す。また、種そのものに成長して実を結ぶ力を持っ
ています。種は良い土地に落ち、芽生え、育って実
を結びます。良い土地に種が落ちれば必ず実を結び
ます。種自身が成長する力を宿しているからです。
種は良い土地に落ちて、芽生え、実を結ぶ。このコ
トバは、私たちの心の深くにとどまり、様々な日常
生活の中で想起されることになります。なぜなら、
イエス様の語られたのは神の言葉だからです。
園長 真砂 良克
園長の言葉(10月)
10月の聖句
ほかの種は、良い土地に落ち、芽生え育って実を結ぶ。
マルコによる福音書4章8節
今からおよそ2千年前に生きたイエス様は「神の国」
が近づいたことを人々に語りかけました。イエス様は、
日本で経験することの出来る四季の変化と同じ四季の
あるガリラヤ地方で活動します。ガリラヤ湖に近いカ
ファルナウムを拠点として神の国運動を推進します。
先ず、弟子を招きます。ペトロ、アンデレが湖で漁を
していました。イエス様は「私に従いなさい」と呼び
かけます。すると、二人は網を捨てて、イエス様の後
について行きます。次に、ヨハネとヤコブに会い、
「私についてきなさい」と呼びかけます。二人はやは
りイエス様の後について行きます。
ある日、ガリラヤ湖畔で、多くの人々がイエス様の
話を聞こうとして集まって来ます。あまりの多さに押
し潰されてはいけないと、イエス様は舟に乗り、岸か
ら離れ、腰を下ろし話し始めます。全て譬えを用いて
話します。「よく聞きなさい」湖と言いましても小波
の音がしますし、人々の雑音もあります。そのために、
大声で話したと考えます。よく聞きなさい。これから
聞く言葉を記憶にとどめなさい。コトバを聞く。生れ
て間もない赤ちゃんは泣いてばかりです。また、赤ち
ゃんの周りの大人はシャワーのようにコトバを語り掛
けます。赤ちゃんが何に興味を示すのか、アメリカで
実験が行われました。そこで、動物の写真(犬、猫等)、
こどもの写真、大人の写真。なんと大人の写真を見る
時間が一番長かったそうです。大人の顔を見る。大人
の口からコトバが出て来るからです。コトバを聞きた
いとの赤ちゃんの衝動と考えられます。赤ちゃんは1年
間、寝ることがほとんどです。ハイハイ、独り立ち、
歩行へと進みます。歩くことが出来るようになるとコ
トバを発する声帯が出来あがります。こうして、一言、
二言、自らコトバを発することが出来るようになりま
す。初めの一言を発するために、どれだけのコトバ掛
を聞いたことでしょうか。外からのコトバがけにより
赤ちゃんから幼児へと日常生活の中で話しコトバを身
に付けて行きます。イエス様は生活の中で経験するこ
とを用いて譬えを語ります。
種蒔きが種を蒔きに出て行った。種は貴重なもので
す。また、種そのものに成長して実を結ぶ力を持って
います。種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結
びます。良い土地に種が落ちれば必ず実を結びます。
種自身が成長する力を宿しているからです。種は良い
土地に落ちて、芽生え、実を結ぶ。このコトバは、私
たちの心の深くにとどまり、様々な日常生活の中で想
起されることになります。なぜなら、イエス様の語ら
れたのは神の言葉だからです。
園長 真砂 良克
2019年9月26日木曜日
2019年9月3日火曜日
ナースリーだより(9月)
今月の聖書の言葉
沖に漕ぎ出して網を降ろして、漁をしなさい。
ルカによる福音書5章4節
沖に漕ぎ出して網を降ろして、漁をしなさい。
ルカによる福音書5章4節
キリスト教保育に始まる幼児教育はフレーベル
に遡ります。この人は世界で初めて幼児教育の
必要性を説きました。父親はプロテスタントの
牧師でした。イエスの説いた「神の国」に触発
されて、子どもたちは無条件にイエスに受け入
れられているために子どもたちが遊ぶところと
して、キンダーガルテンと命名しました。「子
どもの園」と日本語に訳せます。しかし、日本
では幼稚園と訳しました。フレーベルの子ども
理解はルソーに近いと言われます。ルソーは
「エミール」(日本語に訳された題名)の中で
教育者とは子どもの持っているものを引き出す
役割を担う責任があると語ります。子どもの主
体性を大切にしています。フレーベルもこのこ
とを継承します。この世に誕生した人間の能力
を引き出す力を持った方は「神の国」を宣べ伝
えたイエスその人だと言えます。シモンに「沖
に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言
います。「お言葉ですから、網を降ろしましょ
う」と答えます。大漁となります。シモンはイ
エスの持つ力に圧倒され、イエスの弟子になり
ます。
園長 真砂良克
園長の言葉(9月)
9月の暗唱聖句
沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。
ルカによる福音書5章4節
長がかった夏休みが終わりました。お子さん
たちはこのことを心待ちしていたのではないで
しょうか。教師達は長い夏休み中に外に出かけ、
研修に3回参加しました。また、それぞれ自宅
研修に励み、二学期が始まることを楽しみに待
っていました。キリスト教保育に始まる幼児教
育はフレーベルに遡ります。この人は世界で初
めて幼児教育の必要性を説きました。父親はプ
ロテスタントの牧師でした。イエスの説いた
「神の国」に触発されて、子どもたちは無条件
にイエスに受け入れられているために子どもた
ちが遊ぶところとして、キンダーガルテンと命
名しました。「子どもの園」と日本語に訳せま
す。しかし、日本では幼稚園と訳してしまい、
文部省の管轄となります。フレーベルの子ども
理解はルソーに近いと言われます。ルソーは
「エミール」(日本語に訳された題名)の中で
教育者とは子どもの持っているものを引き出す
役割を担う責任があると語ります。子どもの主
体性を大切にしています。フレーベルもこのこ
とを継承します。この世に誕生した人間の能力
を引き出す力を持った方は「神の国」を宣べ伝
えたイエスその人だと言えます。
9月の暗唱聖句はそのことを私達に語ります。
イエスがガリラヤ湖畔に立っていると、神の言
葉を聞こうとして、群衆がその回りに押し寄せ
て来ます。群衆の主体性が表現されています。
神の言葉を聞きたい。イエスが語るのは「神の
国」でした。ですからイエスが語るのは神の言
葉です。群衆が大勢で押し寄せたものですから
押し倒されてはいけないと、イエスは、近くで
網を洗っているシモンに、舟を岸から漕ぎ出す
ようにと頼みます。舟の上から湖畔にいる群衆
に向かって教えます。聖書には何を教えたのか
は書かれていません。話し終えて、シモンに
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」
と言います。シモンは「先生、わたしたちは、
夜通し苦労しましたが、何もとれませんでし
た。」と答えます。徹夜をして漁をしたが何も
とれなかった。徒労に終わった。ですから、や
めますとは言わずに、「お言葉ですから、網を
降ろしましょう」と答えます。舟の中でシモン
はイエスの話を聞いていました。イエスの言葉
を神の言葉として受けとめたのです。そのため
に、お言葉どおりにいたしましょう、と応答し
ます。すると、大漁となります。シモンはイエ
スの持つ力に圧倒され、彼の内面が暴露されま
す。網を入れても何も取れない、徹夜して取れ
なかったから。しかし、イエスの言葉は違う。
大魚となる。全てを知っている。シモンはその
ことに気づき、イエスの弟子になります。イエ
スから先に声を掛けました。キンダーガルテン
に来られているお子さん一人ひとり、イエス様
が招いておられる大切なお子さんであることを
9月聖句から教えられます。
園長 真砂良克
2019年7月3日水曜日
ナースリーだよりⅠ(7月)
今月の聖書の言葉
まことの光が輝いているからです。
太陽の光が強く感じられる季節を迎えました。
明るい光に照らされた山々は緑色を深くして
います。日中に太陽が輝くとは限りません。
曇りの日、雨が降る日があります。しかし、
日中に雲の上には必ず太陽があります。人間
となる以前の人類猿の頃、朝の日の出の時、
光に当たるようにじっとしていたのかもしれ
ません。その名残として日の出の頃に太陽に
手を合わせる行為をしたくなります。そして、
太陽はイエス・キリストへとたとえられて行き
ます。太陽の持つエネルギー。日陰と太陽の光
の当たる場での温度差の違いを肌で感じること
が出来ます。この時期には太陽の光に照らされ
ると暑いので、木陰や物陰を歩きます。しかし、
寒い冬になると太陽の光の当たるところへと出
て行きたくなります。その意味でも太陽の恩恵
は私たちの体の中に蓄積されています。太陽の
動きと共に日常生活を送ることが健康にも良い
ことが分かっています。この私たちの体を包み
込むような太陽としてイエス・キリストがたと
えられます。まことの光として輝いています。
まことの光が輝いているからです。
ヨハネの手紙一2章8節
明るい光に照らされた山々は緑色を深くして
います。日中に太陽が輝くとは限りません。
曇りの日、雨が降る日があります。しかし、
日中に雲の上には必ず太陽があります。人間
となる以前の人類猿の頃、朝の日の出の時、
光に当たるようにじっとしていたのかもしれ
ません。その名残として日の出の頃に太陽に
手を合わせる行為をしたくなります。そして、
太陽はイエス・キリストへとたとえられて行き
ます。太陽の持つエネルギー。日陰と太陽の光
の当たる場での温度差の違いを肌で感じること
が出来ます。この時期には太陽の光に照らされ
ると暑いので、木陰や物陰を歩きます。しかし、
寒い冬になると太陽の光の当たるところへと出
て行きたくなります。その意味でも太陽の恩恵
は私たちの体の中に蓄積されています。太陽の
動きと共に日常生活を送ることが健康にも良い
ことが分かっています。この私たちの体を包み
込むような太陽としてイエス・キリストがたと
えられます。まことの光として輝いています。
園長 真砂 良克
園長の言葉(7月)
7月の暗唱聖句 ヨハネの手紙一2章8節
太陽の光が強く感じられる季節を迎えました。
明るい光に照らされた山々は緑色を深くしてい
ます。日中に太陽が輝くとは限りません。曇り
の日、雨が降る日があります。しかし、日中に
雲の上には必ず太陽があります。人間となる以
前の人類猿の頃、朝の日の出の時、光に当たる
ようにじっとしていたのかもしれません。その
名残として日の出の頃に太陽に手を合わせる行
為をしたくなります。そして、太陽はイエス・
キリストへとたとえられて行きます。太陽の持
つエネルギー。日陰と太陽の光の当たる場での
温度差の違いを肌で感じることが出来ます。こ
の時期には太陽の光に照らされると暑いので、
木陰や物陰を歩きます。しかし、寒い冬になる
と太陽の光の当たるところへと出て行きたくな
ります。その意味でも太陽の恩恵は私たちの体
の中に蓄積されています。太陽の動きと共に日
常生活を送ることが健康にも良いことが分かっ
ています。この私たちの体を包み込むような太
陽としてイエス・キリストがたとえられます。
まことの光として輝いています。太陽はこの天
地が創造 された時からありました。
しかし、イエス・キリストは今から約0千年
前にこの地上に表れます。当時の人々に太陽
のような接し方をします。病を負う人を癒し
ます。しかし、為政者たちから排斥されます。
犯罪人として処刑されます。時代はローマの
平和と言われた時でした。初代ローマ皇帝は
兵士を通して道路をつくります。インフラ整
備をします。すべての道はローマに通ず、と
言われる程でした。軍事力により戦争のない
状態を保ちます。河川や山を敵の侵入を防ぐ
防衛線とするために軍隊を駐留させます。こ
うして戦争のない状態を保ちます。
イエス・キリストが生まれ育った地はローマ
の属州として税金を納める必要がありました。
その反動として人々の内面には不満が渦巻い
ていたのです。そのために、イエス・キリス
トは反ローマの指導者として十字架につけら
れてしまいます。十字架で息を引き取り、墓
に葬られます。ところが、死からよみがえら
されます。このことを弟子たちが証しします。
園長 真砂 良克(まなごよしかつ)
2019年6月14日金曜日
2019年6月3日月曜日
ナースリーだより(6月)
息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ。
詩編150編6節
朝早く園庭ではスズメが数羽囀っています。やがて、園児たちが登園すると園庭は賑やかな遊びの声が起こ
ります。このような光景を見ると神をほめたたえずに
はおられません。神をほめたたえる具体的な行為は礼
拝です。礼拝で心から神をほめたたえます。神を見た
者はいません。神の独り子であるイエス様は神様がど
のような方かを示してくださいました。イエス様を知
ることは神様を知ることになります。イエス様を私たち
に与えてくださった神様は素晴らしい方だと言うことが、
神をほめたたえることです。ほめることは神さまが素晴ら
しいからです。このように心に思うことを口に出すことが
喜びとなります。喜びは体に力を与えます。
下松幼稚園の子ども達は毎朝「イエス様、イエス様、
おはようございます。今日も一日守られて、楽しく遊び
ましょう。」と賛美しています。イエス様が共にいてく
ださる。どんな時でも何時でも共にいてくださいます。
早朝の園庭の雀の囀りも朝を迎えた喜びと感謝として受
け止めることになります。すると、この地球上の息ある
もの全てが、何らかの形で神を賛美しているのではない
でしょうか。
神を賛美する者は、一日、一日を充実して生きることに
なります。
園長 真砂 良克
園長の言葉(6月)
聖句 詩編150編6節
息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ。
地球の上空は大気圏と言わる目には見えない
空気でおおわれています。空気中の酸素を用い
て息をするものは生命を維持しています。すべ
ての息をするものは主を賛美しなさい、と6月
の聖句は奨めています。ハレルヤとは「主を賛
美せよ」の意があります。同じ文章を繰り返し
ています。息をするものは神を賛美する。春に
は鶯の初鳴きを聞きます。鳴き始めですので、
ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ホー
ホケキョと鳴くことが出来ませんが、次第に鳴
くようになります。神をほめたたえるように聞
こえます。
2月下旬から3月上旬、光市冠山公園では種々
の梅の花が赤色、白色と咲き乱れます。何処
からともなくメジロの群れが飛来して梅の花
の蜜を食べては囀ります。まるで梅の花が咲
いたことを喜び歌っているようです。自然に
目を向けると感動することばかりです。笠戸
島のはなぐり岩の近辺に沈む茜色の夕日の形
容しがたい光景、美しいと一言で言えないも
のがあります。朝早く園庭ではスズメが数羽
囀っています。やがて、園児たちが登園する
と園庭は賑やかな遊びの声が起こります。こ
のような光景を見ると神をほめたたえずには
おられません。神をほめたたえる具体的な行
為は礼拝です。礼拝で心から神をほめたたえ
ます。神を見た者はいません。神の独り子で
あるイエス様は神様がどのような方かを示し
てくださいました。イエス様を知ることは神
様を知ることになります。イエス様を私たち
に与えてくださった神様は素晴らしい方だと
言うことが、神をほめたたえることです。心
に思うことを口に出すことが喜びとなります。
子ども達は毎朝「イエス様、イエス様、おは
ようございます。今日も一日守られて、遊び
ましょう。」と賛美しています。イエス様が
共にいてくださる。息あるもの全てが、何ら
かの形で神を賛美しています。神を賛美する
者は、一日、一日を充実して生きることにな
ります。
2019年5月18日土曜日
下松幼稚園こひつじの会講演会
こひつじの会 講演会
日時 5月28日(火)10:00~12:00
場所 下松教会(栄町1丁目1ー19)
主催 下松幼稚園こひつじの会
(下松幼稚園保護者会)
協賛 下松教会
テーマ ミンダナオ図書館のはたらきについて
講師 松居 友(図書館館長)
参加費 無料
どなたでも参加出来ます。
詳しくは下記案内をご覧ください。
ナースリーだより(5月)
ナースリーだより(5月)
聖書 ヨブ記4章3節
天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。
子どもの権利条約がありまず。子どもは
食べる権利があり、寝る権利がある。当た
り前ですが、それらの権利が奪われている
ので。声高らかに叫ばれるようになってい
ます。子どもは親を選ぶことが出来ません
。生れた家庭で育つことになります。親の
所有物でもありません。子どもは授かるも
のと日本でも言われます。子どもを与えら
れたくても得られない方もおられます。
5月の聖書の言葉は、わたしたちに「新し
い人間」を与えてくれます。この地球上に
存在するすべてのものはわたしのものだと
言われる方がおられます。「わたし」とは
天地万物を創造された方です。神様と呼ば
れる方です。この神様にイエス様はFアッバ」
と呼びかけます。言葉を発し始めた幼子が膝
に抱かれた父親に向かって全信頼に満ちて
語りかける言葉です。日本語に訳すことは難
しいですが「ちゃん」でしょうか。間近に
いる神として呼びかけます。イエス様はその
ために神の国に生きていました。神様の支配
の中に生きていました。その神様はこの地上
のものはすべて神様のものであると宣言さ
れます。子どもも神様から授けられた存在で
ある。神の目には一人ひとりが貴い。この平
等の思想を私たちに与えてくれます。古い、
古い聖書の言葉が「新しい人間観」を私た
ちに与えてくれます。
園長 真砂 良克
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