園長 真砂良克(まなごよしかつ)
暗唱聖句 空の鳥をよく見なさい。
マタイによる福音書6章26節
凡そ2か月が経過して、お子さん方も幼稚園生活に慣れて
来ました。
赤組のお子さんたちは花壇と塀との接触面にいるダンゴム
シを摘まんでいます。それまで沢山の足を動かしていたダン
ゴムシは手に触れられると丸くなります。摘まみ、掌に置き、
しばらくすると動き出します。その様子に興味津々になります。
また、蟻を捉まえたりしています。目にする虫を手につかむこ
とを通して見る事、手を動かすこと等、体全体の器用さが生じ
ます。
黄組では担任の蛍先生が白い手袋を用いて作った手袋シアタ
ーを楽しんでいます。やはり目で見て、物語を耳で聞きます。
緑組はビー玉転がし、ドミノ倒し、カード合わせ等、数名が
協力して楽しい遊びをしています。どのクラスも体を用いて遊
んでいます。遊びはとても大切です。遊びの達人はイエス様と
言えます。イエスは30歳を過ぎてから「神の国運動」を推進さ
せるために、食する暇もないほどの多忙な歩みをしていました。
イエスのうわさを聞いた人々が多くの病人をイエスのもとに連
れて来ます。連れて来られた病人を一人ひとり癒します。また、
集まった人々に教えを語るために時間がありませんでした。
ところが、イエスは弟子の誰よりも早く起きて、人里離れた
場所に行き、祈りをしていました。そのような多忙な生活をし
ながらも遊びの心を失いませんでした。
遊び心、それが6月の暗唱聖句です。
空の鳥をよく見なさない。イエスその人は空の鳥をよく見て
いたのでしょう。空の鳥は、種を蒔くことも、刈り入れをする
ことも、倉に納めることもしません。このイエスの話を聞いて
いた人々は農民でした。麦を作る人々でした。毎日額に汗して
働きます。毎年同じような仕事をします。イエスが語りたいの
は空の鳥は神が養っておられる。だから、鳥は人間のように働
くことがないが、神は空の鳥たちを支えて養っている。ならば、
人間も同じように支えてくれる。神に全てをお任せする。これ
が遊びのこころです。心にゆとりが生まれます。イエスは神に
すべてを委ねていました。神とのそのようなあり方が神の国に
生きることでした。神の国は私たちの近くにあります。園児た
ちがお部屋や園庭で遊ぶ姿を目にすることが出来ることが神の
国に入れられていることです。幼稚園そのものが子どもの園で
あり神の国です。
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