2019年1月8日火曜日

ナースリーだよりⅡ(1月)


ナースリーだより

聖書の言葉

「もとめなさい、そうすれば、あたえられる。」

        マタイによる福音書7章7節

 新しい年を迎え、お喜びを申し上げます。
新しい年もよろしくお願いいたします。
 大晦日は特別な思いがいたします。過ぎ
し日を顧み、新しい年への思いがあふれ出
てきます。
 昨年の大晦日の午前中に園庭で餅をつき
ました。
幼稚園には餅をつく道具がそろっていま
す。お正月に備えて餅をつきたいと餅米
3キロを購入していました。前日に餅米
を水に漬けておきました。大晦日に幼稚
園の園庭で前日水に漬けていた餅米を蒸
し器に入れ、移動式竈(かまど)で火を
焚き、お釜に水を入れ、蒸し器を乗せ、
45分程蒸して、杵で餅に仕上げました。
何から何まで独りで行いました。子ども
のころから餅つきを手伝っていましたが、
ただ、つくだけで、前日から準備するこ
とはありませんでした。
ナースリーでは今年度は餅を造ることは
ありません。次年度には餅米から餅にな
るまでをお子さんたちに見ていただきた
いと願っています。見る、触る、食べる。
当たり前のことが避けられて行きます。
求める。私達人間が本当の人間になるよ
うに求める。そうすれば、与えられる。
昔から大切されて来たことには、それま
での知恵が込められています。子ども達
にとり基礎となるようなことを体で経験
することをナースリーでは追い求めたい
と願います。           
         園長 真砂 良克

園長の言葉(1月)

暗唱聖句

「もとめなさい、そうすれば、あたえられる。」

         マタイによる福音書77


新しい年を迎え、お慶び申し上げます。
3学期が始まります。3学期も園の歩みに
ご協力をお願いします。
朝日新聞の天声人語に次のような記事が
ありました。1年でいちばん好きな日は、
たぶん大晦日だと思う。作家の津村記久
子さんがエッセーにそう書いている。
 お正月はとても楽しい。けれども2日
はもうただの休みだし、3日なんか明日
から会社かと、げんなりする。しかし、
大晦日は違う。「待つ」ことの楽しさが
凝縮されているのだ。人間には、二通り
の時間の感じ方がある。一つは、未来に
向かって直線に進んで行く時間。もう一
つは、毎年毎年循環する時間である。こ
の記事を読んで大晦日をクリスマスに置
き換えて考えました。クリスマスまでを
子どもたちと待ち望みました。一日、一
日と待ち望みました。そして、クリスマ
スの日(1214日)を、喜びを持って迎
えました。
私の場合は教会との関係で1223日、24
日もクリスマスをお祝いしました。クリ
スマスも循環します。今年も巡って来ま
す。
ドイツのお菓子にバウムクーヘンがあり
ます。とても、美味しいものです。バウ
ムは木を、クーヘンはケーキを意味しま
す。木のケーキ。木の年輪を模していま
す。日本の木の年輪は寒暖の差から生じ
ます。毎年、毎年、クリスマスを迎えま
す。木が毎年成長するように、クリスマ
スを迎える度に神様を信じる思いを強め
られて行きます。
さて、私は昨年の大晦日には園庭で餅つ
きをしました。子どものころから1年に2
回ほど餅をついていました。もち米は自
家製でした。餅をつく楽しさを子ども達
にも経験してほしいと思います。自分た
ちがついた餅を食べる。美味くないはず
はありません。餅米が餅になる過程を見
て、触り、食べる。どんどん身の回りか
ら消えて行く日本の伝統の行事を、子ど
もたちに伝承したいと願っています。
         園長 真砂 良克

2018年11月28日水曜日

ナースリーだよりⅢ(12月)


ナースリーだよりⅡ(12月)
















ナースリーだより(12月)

聖書の言葉

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」

マタイによる福音書210

 12月の聖書の言葉を思い巡らせていますと、子どもの
頃のことが思い浮かびました。夕方になり「1番星見つ
けた!!2星見つけた!!」と、歌ったことです。今日、
私たちの住む日本で星を見ることが難しくなっています。
人里離れた所に行かなければ見られません。人口衛星か
ら撮影された夜の日本は、輪郭が電気の灯として見るこ
とになります。と、同時に夜空を眺めて星を見ることが
出来ません。そのような日常生活の中で聖書の言
葉は星を見ることへと誘います。学者たちはチグ
リスーユフラテス川に囲まれた肥沃な土地に住ん
でいました。そこで、ユダヤの地にメシアが誕生
することを知り、旅をします。旅は、危険に満ち
たものでした。しかし、メシアに一度お会いした
いと決断して旅をします。目指す場所は星が知ら
せます。学者たちはその星を見て喜びにあふれま
す。彼らは幼子イエス様を礼拝し、黄金、乳香、
没薬を捧げます。これが私たちに告げるマタイ福
音書のクリスマスの出来事です。神の子イエス様
がこの地上でお生まれになりました。このことが
喜びのもとになります。     
            園長 真砂 良克

園長の言葉(12月)

暗唱聖句

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」

      マタイによる福音書210


 12月の園児たちの暗唱聖句について思い巡らせて
いますと、田舎での子どもの頃の記憶が浮かんで来
ました。夕方になり「1番星見つけた!!2星見つ
けた!!」と、歌ったことです。夜になると街灯も
ないところでしたのでハッキリ、クッキリと星が見
えました。今日、私たちの住む日本で星を見ること
が難しくなっています。人里離れた所に行かなけれ
ば見られません。人口衛星から撮影された夜の日本
は、輪郭が電気の灯として見ることになります。と、
同時に夜空を眺めて星を見ることが出来なくなりま
した。電気の灯で夜も明るくなったからです。そ
ような日常生活を送る私たちに、聖書の言葉は星を
見ることへと誘います。「学者たちはその星を見て
喜びにあふれた。」と書かれています。学者たち、
正確には占星術の学者たちでした。夜空に見える星
によって人々に日常生活の示唆を与えていました。
例えば、小麦の種を蒔く時期などです。彼らは数学
も造形が深く、当時の学問の先端を行く人々でし
た。彼らは書物によりユダヤの地ベツレヘムにメシ
アが誕生することを知解します。メシア。油注がれ
た者との意味です。ユダヤの地では「油注がれた者」
が王になりました。そこから、メシアは救世主、救
い主とも呼ばれるようになります。いつしかダビデ
王のようなメシアが現れると期待されるようになり
ます。
 学者たちはチグリスーユフラテス川に囲まれた肥
沃な土地に住んでいました。そこで、ユダヤの地に
メシアが誕生することを知り、旅をします。旅は今
日のような安全なものではなく、危険に満ちたもの
でした。しかし、メシアに一度お会いしたいと決断
して旅をします。目指す場所は星が知らせます。学
者たちはその星を見て喜びにあふれます。彼らは希
望の星に導かれます。彼らは幼子イエス様を礼拝し、
黄金、乳香、没薬を捧げます。これが私たちに告げ
るマタイ福音書のクリスマスの出来事です。神の子
イエス様がこの地上でお生まれになりました。この
ことが喜びのもとになり、あふれるほどの喜びとな
ります。
     園長 真砂 良克(まなごよしかつ)