2021年3月2日火曜日

3月の聖書の解説

 3月聖句解説

わたしは必ずあなたと共にいる。

出エジプト記312

 

 今から26年前の1995117日(月)の早朝、大きな地震が起こりました。その時、私は北海道帯広の地で温泉に浸かっていました。北海教区の信徒の方々が主催する年頭修養会に参加し、2日目でした。温泉からあがり午前6NHKニュースで関西地方に大きな地震が起こりましたとの報道があり、被害に関しては未定です、と聞きました。刻一刻と被害状況が分かり、研修の閉会礼拝献金は急きょ阪神淡路大震災の被災地に送ることに決まりました。やがて、未曽有の被害をもたらした地震であることが判明します。3日後、ニュースの映像に神戸市西市民病院の建物の4階部分が潰れたものがありました。映像に出た建物の1階に看護師のお子さんたちが通う「たんぽぽ保育園」があり、以前クリスマス礼拝でお話をしたことがあったことを思い出しました。やがて、仕事の場が北海道から兵庫県に移動し、震災で亡くなられた方々の「死」を二人称の「死」として捉えることを教えられました。わたし―あなた関係。「わたし」にとり「あなた」の死。亡くなられた方々を親しい人の死として受け止める。深い悲しみをともないます。

 3月の聖句「わたしは必ずあなたと共にいる」の「わたし」は神、あなたは「モーセ」という人物を現わしています。モーセは神からこのように呼びかけられたのです。これほど心強いことはありません。嬉しい時も悲しい時も寂しい時もモーセと共に「わたし」である神が共にいたのです。エジプトの地で使役に苦しんでいた民を脱出させることが出来ました。

 私達の時代は神の子であるイエス様が「わたしは必ずあなたと共にいる」と約束してくださいます。下松幼稚園では卒園する緑組さんにイエス様が教えて下さった「主の祈り」を覚えていただいています。この「主の祈り」を祈る時、イエス様が共にいてくださることを覚えることが出来ます。これほど心強いことはありません。

 私事についてですが、3月末をもって定年となりましたので園長を退任いたします。保護者の皆様のこれまでのご協力に感謝します。ありがとうございました。

2021年2月2日火曜日

2月ナースリーだよりⅡ

 2月の予定

3日(水)豆まきごっこをしましょう。

10日(水)誕生会(2・3月)最終日

   この日をもって2020年度のナースリー

 は終了します。次年度は5月12日(水)

10:00より開始予定です。詳しくはHPで

お知らせします。


2月のナースリー

 愛は、すべてを完成させるきずなです。 

コロサイの信徒への手紙314

 神の愛は母親のこどもに対する愛情に似ていると言われます。母子は胎の中臍帯でつながっています。10か月余、母子一体の期間を過ごします。この間、臍帯(きずな)で結ばれています。きずな(臍帯)は命綱でもあります。さて、生れ出てから母親はお世話をするのが大変です。熟睡することもままなりません。泣いてもその理由を理解することが出来ず途方にくれることもあります。一方、赤ちゃんも戦略を持っています。他者から見ると可愛い、愛くるしいと感じさせます。母親の心に、我が子との関りの中からこの子のために出来ることはしたいとの思いが膨らんで来ます。子は母親の保護がなければ生きて行くことができないことを知っています。1~2歳では目の前に母親がいないと不安になり、声を出して泣いたりします。母親にとり子は、いつまでも子どもです。子が20歳、40歳、60歳、70歳になっても我が子です。2月の聖句「愛は、すべてを完成させるきずなです」から、お母さん方の我が子への愛情と同じようなかかわり方を、園児さんたちにしたいと教員一同祈り願っています。       

                                園長 真砂 良克

2月の聖書解説

 2月聖句解説

愛は、すべてを完成させるきずなです。

コロサイの信徒への手紙314

 

 聖書の示す愛を「アガペー」(ギリシア語)として表現しています。愛するという動詞は「アガパオー」です。イエス様はペトロを最初に弟子にします。ペトロは弟子になる前はガリラヤ湖で魚を捕る漁師をしていました。生活の糧となる網を捨ててイエス様の弟子になります。すでに妻帯していました。ペトロはイエス様が捕らえられた時、逃げてしまいます。そして、元の漁師に戻っていました。復活のイエス様がペトロに現れて問いかけます。「あなたは私を愛する(アガパオー)か?」ペトロは「私があなたを愛する(フィレオ―)ことはあなたがご存じです」と答えます。愛するに用いられているギリシア語の動詞の違いに気づきます。これが3度繰り返され、イエス様はペトロに「わたしの羊を飼いなさい」と使命を与えます。ここからペトロは本当の弟子にされます。愛がそうさせたのです。愛(アガペー)は、すべてを完成させるきずなです。

神の愛は母親のこどもに対する愛情に似ていると言われます。母子は胎の中臍帯でつながっています。10か月余、母子一体の期間を過ごします。この間、臍帯(きずな)で結ばれています。きずな(臍帯)は命綱でもあります。さて、生れ出てから母親はお世話をするのが大変です。熟睡することもままなりません。泣いてもその理由を理解することが出来ず途方にくれることもあります。一方、赤ちゃんも戦略を持っています。他者から見ると可愛い、愛くるしいと感じさせます。母親の心に、我が子との関りの中からこの子のために出来ることはしたいとの思いが膨らんで来ます。こうして愛情が育まれて行きます。また、子は母親の保護がなければ生きて行くことができないことを知っています。1~2歳では目の前に母親がいないと不安になり、声を出して泣いたりします。母親にとり子は、いつまでも子どもです。子が20歳、40歳、60歳、70歳になっても我が子です。2月の聖句「愛は、すべてを完成させるきずなです」から、お母さん方の我が子への愛情と同じようなかかわり方を、園児さんたちにしたいと教員一同祈り願っています。

2021年1月12日火曜日

1月ナースリーだよりⅡ

 1月予定

13日(水)お正月あそびをしましょう

 こまや凧をつくります。

20日(水)あそびましょう

27日(水)誕生会(1月生まれのお友達)


1月ナースリーだより

 1月の聖書の言葉

神は愛です。 

ヨハネの手紙Ⅰ416

 2021年の新しい年を迎え、おめでとうございます。昨年はコロナ禍の中で、ナースリーを2学期から開始しました。3学期もナースリーを行うことができますことを感謝しています。

 神は愛です。この言葉はクリスマスに表されました。マリアは天使から男の子を産むと伝えられます。神の力により男の子を産む、と。許嫁のヨセフはやはり夢の中で、マリアとの結婚をしなさいとのお告げを受けて結婚します。彼らの住む国はローマ帝国の属州であったので、税金を納めるためにヨセフの生まれた町ベツレヘムへ行きます。彼らの休む宿屋がなく、家畜小屋に新しい藁を敷いてもらい、その場で、神の子イエスを出産します。幼子は白い布に包まれて飼葉桶に寝かされます。世界の中心はローマでした。ユダヤのベツレヘムは辺境です。やがて、ローマ帝国は千年程継続し、歴史の舞台から消滅します。しかし、イエス・キリストが誕生したクリスマスはコロナ禍にあっても思い起こされます。これが神の愛なのです。歴史が続く限り、クリスマスの出来事は祝われ、低きに降る神が現れます。神は愛だからです。

                               園長 真砂 良克

1月聖書解説

1月聖句解説

神は愛です。ヨハネの手紙Ⅰ416

 

 新しい年を迎え、おめでとうございます。新しい年も保護者の皆様のご協力を頂いて保育に励んでまいります。過ぎた過去1年はコロナ禍の中でこれまでにない経験でした。入園式後には自主登園、休園、自主登園として1学期を終えました。2学期からは通常保育に戻りましたが、室内での密集を避ける保育を行いました。クリスマス礼拝と祝会も変則的に行うことが出来ました。3学期もコロナ禍の中での保育となります。

 緑組25人はクリスマスの出来事を聖誕劇で表現しました。マリアへの天使のお告げ、許嫁のヨセフはローマ帝国から出された人口調査のために、マリアと共にベツレヘムに向かいます。ユダヤの地はローマ帝国の属国になっており、税金を納めさせる人口調査をしました。ローマ帝国は圧倒的な軍隊を有しており、属国にも税金を付加しました。身重のマリアは月が満ちて、幼子を産みます。ヨセフとマリアは宿を探しますが、休息する宿がなく、家畜小屋に新しい藁を敷いてもらって宿とします。幼子は、白い布に包まれて、飼葉桶に寝かされます。ここに神の愛がある、と聖書は語ります。幼子はイエスと名づけられます。やがて、神の子と呼ばれるようになります。ユダヤのベツレヘムは地方の町です。一方、ローマ帝国は「すべての道はローマに通ず」と言われたように世界の中心でした。初代ローマ皇帝のアウグストゥスは軍事力による「ローマの平和」を築きます。彼の死後、神と呼ばれるようになります。2代目は養子として初代に迎えられ「神の子」と呼ばれます。皇帝の住む場所は豪奢です。世界史の中で高さと低さが明確にされています。ローマ帝国は約千年間継続しますが歴史から消え去ります。一方、イエス・キリストの出来事はコロナ禍の中でも継続されます。神の愛の射程は広く深く限界はありません。神の子の誕生は家畜小屋であり、飼葉桶に寝かされました。神は低きにくだる方です。ここに神の愛が示されました。神が人間になる。私達と変わらない肉体を取って来られ、この地上を生き、十字架を背負われて、死を迎えました。この方の生き方に神の愛が表されています。日本人の作った讃美歌の歌詞に次のものがあります。「この人(ひと)を見よ、この人にぞ、こよなき愛は、あらわれたる。この人を見よ、この人こそ、人となりたる、生ける神なれ。」(讃美歌21-280)下松幼稚園は神の愛に満たされた場に変えられたいと願います。