2018年11月28日水曜日

ナースリーだよりⅢ(12月)


ナースリーだよりⅡ(12月)
















ナースリーだより(12月)

聖書の言葉

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」

マタイによる福音書210

 12月の聖書の言葉を思い巡らせていますと、子どもの
頃のことが思い浮かびました。夕方になり「1番星見つ
けた!!2星見つけた!!」と、歌ったことです。今日、
私たちの住む日本で星を見ることが難しくなっています。
人里離れた所に行かなければ見られません。人口衛星か
ら撮影された夜の日本は、輪郭が電気の灯として見るこ
とになります。と、同時に夜空を眺めて星を見ることが
出来ません。そのような日常生活の中で聖書の言
葉は星を見ることへと誘います。学者たちはチグ
リスーユフラテス川に囲まれた肥沃な土地に住ん
でいました。そこで、ユダヤの地にメシアが誕生
することを知り、旅をします。旅は、危険に満ち
たものでした。しかし、メシアに一度お会いした
いと決断して旅をします。目指す場所は星が知ら
せます。学者たちはその星を見て喜びにあふれま
す。彼らは幼子イエス様を礼拝し、黄金、乳香、
没薬を捧げます。これが私たちに告げるマタイ福
音書のクリスマスの出来事です。神の子イエス様
がこの地上でお生まれになりました。このことが
喜びのもとになります。     
            園長 真砂 良克

園長の言葉(12月)

暗唱聖句

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」

      マタイによる福音書210


 12月の園児たちの暗唱聖句について思い巡らせて
いますと、田舎での子どもの頃の記憶が浮かんで来
ました。夕方になり「1番星見つけた!!2星見つ
けた!!」と、歌ったことです。夜になると街灯も
ないところでしたのでハッキリ、クッキリと星が見
えました。今日、私たちの住む日本で星を見ること
が難しくなっています。人里離れた所に行かなけれ
ば見られません。人口衛星から撮影された夜の日本
は、輪郭が電気の灯として見ることになります。と、
同時に夜空を眺めて星を見ることが出来なくなりま
した。電気の灯で夜も明るくなったからです。そ
ような日常生活を送る私たちに、聖書の言葉は星を
見ることへと誘います。「学者たちはその星を見て
喜びにあふれた。」と書かれています。学者たち、
正確には占星術の学者たちでした。夜空に見える星
によって人々に日常生活の示唆を与えていました。
例えば、小麦の種を蒔く時期などです。彼らは数学
も造形が深く、当時の学問の先端を行く人々でし
た。彼らは書物によりユダヤの地ベツレヘムにメシ
アが誕生することを知解します。メシア。油注がれ
た者との意味です。ユダヤの地では「油注がれた者」
が王になりました。そこから、メシアは救世主、救
い主とも呼ばれるようになります。いつしかダビデ
王のようなメシアが現れると期待されるようになり
ます。
 学者たちはチグリスーユフラテス川に囲まれた肥
沃な土地に住んでいました。そこで、ユダヤの地に
メシアが誕生することを知り、旅をします。旅は今
日のような安全なものではなく、危険に満ちたもの
でした。しかし、メシアに一度お会いしたいと決断
して旅をします。目指す場所は星が知らせます。学
者たちはその星を見て喜びにあふれます。彼らは希
望の星に導かれます。彼らは幼子イエス様を礼拝し、
黄金、乳香、没薬を捧げます。これが私たちに告げ
るマタイ福音書のクリスマスの出来事です。神の子
イエス様がこの地上でお生まれになりました。この
ことが喜びのもとになり、あふれるほどの喜びとな
ります。
     園長 真砂 良克(まなごよしかつ)

2018年10月31日水曜日

ナースリーだよりⅡ(11月)
















ナースリーだより(11月)

聖書の言葉

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。
しかし、成長させてくださったのは神です。」
 コリントの信徒への手紙Ⅰ 36

 11月には収穫感謝祭があります。こ
の収穫感謝祭はアメリカ成立時代まで遡
ります。1620年、オランダのライデンか
らメイフラワー号に乗った人々は新大陸
に到着します。そこで持参した種を蒔き
ますが何も収穫することが出来ませんで
した。翌年の1621年に先住民よりトウモ
ロコシや他の種を分けてもらい作物を収
穫することが出来ました。隣人から分け
て貰った種が豊かな収穫をもたらし
たのは、神様の恵みだと受け止め、
収穫感謝の祭(礼拝)を行いました。
このように収穫感謝祭の起源には神
への感謝と隣人への感謝の思いが込
められています。下松幼稚園でも11
15日(木)に収穫感謝礼拝を守り
ます。
 種を植える人、成長させるために
世話をする人。どの人の働きも
かせません。しかし、成長させてく
ださったのは神です。パウロは目に
は見えない神の働きを見ていました。
また、アポロは神のために働く同労
者である、と心から信頼していまし
た。収穫感謝祭は目には見えない神
様の働きが目に見えるものとなりま
す。
 下松幼稚園 園長 真砂 良克

園長の言葉(11月)

暗唱聖句

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しか
し、成長させてくださったのは神です。」
      コリントの信徒への手紙Ⅰ 36

 園児さんに暗唱いただく10月と11月の聖句は同
じです。11月には収穫感謝祭があります。この収穫
感謝祭はアメリカ成立時代まで遡ります。1620年、オ
ランダのライデンからメイフラワー号に乗った人々は
新大陸に到着します。そこで持参した種を蒔きますが
何も収穫することが出来ませんでした。翌年の1621
に先住民よりトウモロコシや他の種を分けてもらい作
物を収穫することが出来ました。隣人から分けて貰っ
た種が豊かな収穫をもたらしたのは、神様の恵みだと
受け止め、収穫感謝の祭(礼拝)を行いました。この
ように収穫感謝祭の起源には神への感謝と隣人への感
謝の思いが込められています。この良き伝統がアメリ
カから日本にもたらされ、私たちの幼稚園でも11月
15日(木)に収穫感謝祭を行います。この日の午後
には下松市から業務委託を受けた清掃会社の職員2名が
乗った清掃車が幼稚園に来て、園児たちが感謝の意を
表します。翌日は下松消防署を全園児でお訪ねして、
保護者の皆様がささげてくださいました果物等を園児
がプレゼントします。ゴミの収集、消防署の働き、様
々な方々の働きを通して下松市内に住む方々が快適な
暮らしが出来ることをかみしめたいと思います。10月、
11月の暗唱聖句は味わえば味わうほど深い内容を持っ
ていることに気づきます。わたしは植え、アポロは
水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神
です。新大陸に渡った人々が持参した種は新しい土地
になじみませんでした。種を植えるために土地を耕作
します。これほど骨の折れることはありません。当時
は手作業でした。体全体を使います。また、植えた作
物が実を結ぶまでは労力が必要です。種を植える人、
成長させるためにお世話をする人。どの人の働きも欠
かせません。しかし、成長させてくださったのは神で
す。パウロは目には見えない神の働きを見ていました。
また、アポロは神のために働く同労者である、と。収
穫感謝祭は目には見えない神様の働きが目に見えるも
のとなります。
       園長 真砂 良克(まなごよしかつ)

2018年10月4日木曜日

ナースリールームだより

ナースリールームからのお知らせ

下松幼稚園 運動会 
台風25号の接近により、運動会の開催
10月8日(月・休日)に延期します。

2018年9月30日日曜日

10月ナースリー(予定)




ナースリーだより(10月)

ナースリーだより(10月)

聖書の言葉
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、
成長させてくださったのは神です。」
  コリントの信徒への手紙Ⅰ 36
 実りの秋を迎えました。実ほど首を垂れる稲
穂かな、との如く収穫のまじかで黄金色に輝く
稲をあちらこちらで見ることが出来ます。穀物
は種を蒔いて収穫します。種を蒔くために耕作
する必要があります。そして、種を蒔く。蒔い
たら終わりではありません。成長するまでお世
話が必要です。パウロという人は耕作し種を蒔
くような労苦をして、コリントの町に教会を生
み出します。彼は教会にとどまらず次の町へと
旅立ちます。パウロに変わる指導者としてアポ
ロがコリントの教会にやって来ます。彼は雄弁
家でした。コリント教会の生みの親であるパウ
ロよりも良いと評価する人々が出て来ます。ま
た、他の人々はパウロの方が良い、と評価しま
す。パウロを信頼するコリントの教会員は手紙
を書いて、状況を知らせます。パウロは熟慮し
ます。なるほど、パウロは種を蒔いた。種を蒔
くためには耕作という労苦を負った。芽が出て
根が出たので安心してアポロに任せた。ところ
が、分裂するような事が起こっている。そのこ
とを避けたいと考えて、「わたしは植え、アポ
ロは水を注いだ。しかし、成長させてくださっ
たのは神です。」と謙虚に語り掛けることが出
来ました。パウロは成長させてくださる神様を
信じていました。種の如く、この世に生を受け
た子どもは成長する力を宿しています。
  下松幼稚園 園長 真砂 良克

園長の言葉(10月)

園長の言葉(10月)

暗唱聖句
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、
成長させてくださったのは神です。」
     コリントの信徒への手紙Ⅰ3章6節
 実りの秋を迎えました。秋の風物詩としての
彼岸花が美しい時節を迎えました。また、田圃
の稲穂が黄金色となり、刈り入れを待っていま
す。私が育った地方ではお盆前に新米が販売さ
れていました。早生米です。炊き上がると香り
よく、食べると美味しいお米でした。母方の祖
父は農業を営み、一本の稲に穂がどれだけつい
ているのかを数えたそうです。元、数学の教師
で、訳があって退職し、運送業(馬車)と家族
で食べるお米を作っていました。実家も米を作
っていました。農作業は大変です。先ず、種ま
きから始まります。苗が出来れば田植えをしま
す。その後も、草取りや、水加減で日夜働きま
す。
 10月の聖句はパウロという人がコリントの町
にある教会の人々に書き送った手紙です。当時
のコリントは世界の三大都市の一つでした。中
心はローマ、エジプトのアレキサンドリア、そ
して、コリントです。コリントは港町で、人の
往来があり、活気のある街でした。
パウロは旅をして、この地にイエス・キリスト
を信じる人々を生み出します。このことをパウ
ロは「わたしは植え」と語ります。植えるため
には耕作する必要があります。耕作のために労
苦します。そして、教会を形成します。パウロ
という人は教会が形成されると、他者に任せて、
次の都市に行き、教会を形成しました。パウロ
がコリントにある教会を離れるとアポロという
人が来て指導します。このアポロはアレキサン
ドリア出身でした。当時、一番蔵書の多い図書
館を有し、学問研究も一番進んでいました。ア
ポロはそのために雄弁でした。教養と人格にも
優れていました。やがて、コリント教会内で、
パウロがいいという人々と、アポロがいいとい
う人々が出て来ます。パウロを信頼する人が、
コリント教会の現状を手紙でパウロに知らせま
す。パウロは教会内が分裂しないように優しく
語り掛けるのです。「わたしは植え、アポロは
水を注いだ。」パウロも努力しました。また、
アポロもしかりです。しかし、成長させてくだ
さるのは神であることを覚えて欲しいと語りま
す。これはお子さんにも当てはまるのではない
でしょうか。保護者が努力してお子さんに関わ
ります。成長させてくださるのは神です。
 園長 真砂 良克(まなごよしかつ)

2018年9月13日木曜日

ナースリーだより


ヨガ教室のお知らせ

日時 926日(水)10301130
場所 下松幼稚園
講師 笹本真樹子さん
   インド政府公認ヨガ講師資格取得
参加対象 ナースリー(親子)
参加費無料
持参物 ヨガマット(大きめのバスタオル)
    汗拭き用タオル
    飲み物(水・お茶等)
 通常通り10時より受付を開始します。

2018年8月31日金曜日

ナースリー2学期カレンダー(予定)

9月

 5日(水)スライムであそぼう!
12日(水)そうめん流し
19日(水)あそびましょう。
                  誕生会(8・9月)
26日(水)ヨガ教室

10月

3日(水)運動会ごっこをしようよ。
 6日(土)運動会 おいでください。
10日(水)お休み
17日(水)バス遠足
24日(水)木の実であそうぼう。
                   誕生会(10月)
31日(水)お休み

11月

 3日(土)バザー
 7日(水)入園準備会
14日(水)音楽会
21日(水)ママ☆サロン
28日(水)クリスマス製作をしよう。
       誕生会(11・12月)

12月 

 5日(水)クリスマス製作をしよう。
12日(水)お休み(園行事のため)
19日(水)ナースリークリスマス

ナースリー開催日は9時より園庭を
開放していますのでご利用ください。

9月ナースリー(予定)


2018年8月30日木曜日

ナースリーだより(9月)

ナースリーだより(9月)

聖書の言葉

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエ
スを迎えた。
       ルカによる福音書19章6節

 7月、8月と猛暑が続きました。8月の末に
なると夕方から虫の音が聴こえて来ます。
自然は秋の訪れを告げます。涼しくなると
体の中から生きる力が湧き出て来ます。こ
の生きる力を与えてくださる方がイエス様
です。9月の暗唱聖句にザアカイという人
が出ています。この人の職業は税金を集め
ることでした。彼はエリコの街に住み、住
民から税金を徴収していました。税金の行
き先はローマ帝国でした。ローマ帝国の属
州として税金を強いられていました。外国
に税金を納めることを嫌う人々は徴税人に
憎しみを向けました。ザアカイは生きるた
めに徴税人をしていたのです。エリコの街
にイエス一行が現われます。人々はイエス
の回りに集まります。ザアカイも一目イエ
スを見たいと考えます。彼は生まれつき背
が低い人でした。そのため、無花果桑の木
に登りイエスを見ようとします。すると、
イエスは先にザアカイを見て、「ザアカイ、
急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあな
たの家に泊まりたい。」と語り掛けます。
大勢の人々の中から、ただ一人、ザアカイ
を名指して、彼の家に宿泊したいと、イエ
スは語り掛けます。そこで、ザアカイは急
いで無花果桑の木から降りて、イエス一行
をもてなします。ザアカイの身体や仕事に
関する複雑な状況をイエスは見抜いていま
した。そのためにザアカイは生きる力をイ
エスから与えられるのです。
    下松幼稚園 園長 真砂良克

園長の言葉(9月)

園長の言葉(9月)

暗唱聖句
「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエ
スを迎えた。」
     ルカによる福音書19章6節
 
 長い夏休みが終わり、2学期が始まる時
節となりました。夏休み中、お子さん方は
様々な体験をされたことだと思います。大
きなプールや海に行き水遊びを楽しんだの
ではないでしょうか。特にご家族の方と共
に楽しんだことだと思います。また、保護
者の方の故郷に帰省されて、祖父母の方々
にお子さん方が歓迎されたことと思います。
私的なことですが、教会や園で働くように
なってから両親の元に帰省するのが楽しみ
でした。幼児期に育った所は山と川があり、
夏は近くの川で水遊びをしました。年上の
人から川で泳ぐことを教えて貰いました。
また、水中眼鏡を顔にあてて川底を覗くと
ハゼがあり、手作りの水中銃でハゼや鮎や
鰻を捕獲しました。夏はほとんど川に行っ
て遊んでいました。小学六年生の夏休みが
終わりに近づいた頃、近所の年上の中学生
や年下の小学生と山に行き隠れんぼをして
いました。山の急斜面の足元を見ると、茸
が8本程一列に並んでいます。近づいて見
ると松茸のようです。匂いを嗅ぐと松茸の
ように強い匂いではありません。父は私が
小学1年生の頃から10月初旬に山に連れて
行き、松茸の生えているところを教え、私
は、実際に松茸の匂いを嗅いでいましたの
で、松茸ではないと判断しました。茸を持
ち帰るために羊歯を2本採り、両方に4本の
茸を刺して家に持ち帰りました。仕事から
帰った父はこれを早松(さまつ)だ、と言
いました。食べると松茸の歯ざわりでした。
両親が5年前に鬼籍に入りましたので、帰省
することがなくなりました。故郷に帰れな
い寂しさがあります。
 さて、9月の聖句はルカによる福音書に
だけある記事です。徴税人のザアカイとい
う人がエリコの街に住んでいました。彼は
背が低かったので無花果桑の木に登りイエ
ス一行が通るのを見ます。イエスの回りに
は群衆が大勢いました。ザアカイを見たイ
エスは「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
と語り掛けます。大勢の人の中からザアカ
イが指名され、宿を望まれます。そのため
に、ザアカイは急いで降りて来て、喜んで
イエスを迎えます。今日でもイエスは私た
ちに呼びかけてくださいます。あなたは大
切な人だよ、と。
 園長 真砂 良克(まなご よしかつ)

2018年7月28日土曜日

園長の言葉(8月)

園長の言葉

暗唱聖句
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
         マルコによる福音書6章50節
        
 74()はその前日から雨が降り続いて
いました。早朝330分ごろに起きる習慣があり、
机に座り、パソコンでゲームをしていました。
午前4時に起きて牧師館の外に出た連れ合いが何
かを言っています。書斎に来て、教会の駐車場の
段差をなくすジョイステップ、幼稚園玄関の段差
をなくすジョイステップが道路上を雨水により流
されて行くと話します。暗い外に出て見るとステ
ップがありません。マルエスの前を通る道路の端
まで流されていました。午前420分ごろでした。
軽ワゴン車が近くで止まり、二人の人が降りて来
て、下松市の水道局のパトロールですと言って、
連結したステップを二人で運んで下さいました。
教会の駐車場に7つの連結したステップが運ばれ
ていました。教会、幼稚園と並べて見て、7つ連
結は違うところから流されて来たものだと判断し
て、魚屋さんの前に連れ合いと一緒に運びました。
夜が明けて見に行くとありませんでした。流され
たお家の方が運んだのでしょう。結構重いステッ
プですが、いとも容易に水の力で流されます。雨
園長 真砂 良克(まなご よしかつ)

入園説明会と願書受付

入園説明会

日時 8月25日(土)10:00~
場所 下松幼稚園 みんなのへや
   お子さんとご一緒においで
   ください。子どもの遊びコ
   ーナーを設けています。

願書受付

日 時 9月3日(月)午前8:30~
場 所 下松幼稚園事務所
持参物 入園願書

2018年6月28日木曜日

ナースリーだより(7月)

ナースリーだより(7月)

聖書の言葉
 主よ、私たちにも祈りを
教えてください。
(ルカによる福音書11章1節)

 子育て真っ最中の皆様にとって「祈り」は
日常茶飯事にされているのではないでしょう
か。その祈りはキリスト教の信者が目を閉じ
て手を組み、声を出して祈るものではありま
せん。お子さんの機嫌が悪くなり熱を測って
見ると平熱より高く、戻したりすると不安に
なり、お医者に行き、診察を受ける時まで、
何事も無いようにと心の中で祈っているので
はないでしょうか。赤ちゃんとして誕生され
てから、心の中で祈ったことが限りなくある
のではないでしょうか。夜中に起きて泣く。
原因が分からず、赤ちゃんの体に優しく触れ
ながら「ねんねんよ、あかちゃんは良い子だ、
ねんねしな」と歌をうた時など、早く眠りに
ついてくれるようにと心の中で祈られたので
はないでしょうか。母乳やミルクを飲んで欲
しいと思っても飲んでくれない時、心の中で
は祈っていたのではないでしょうか。
 7月の聖書の言葉は、イエスの弟子達が師
願った言葉です。イエスは祈りの人でした。
弟子たちよりも朝早く起きて、誰もいない所
で祈っていました。朝だけでなく、何処でも、
何時でも、祈っていました。弟子達は何を祈
っているのだろうかと関心を持って話し合っ
たと考えます。相談してイエスに直接聞いて
みようと結論を出して、「主よ、私たちにも
祈りを教えてください。」と願ったのです。
そして「主の祈り」を教えました。
    
   下松幼稚園 園長 真砂 良克

園長の言葉(7月)

園長の言葉

暗唱聖句
主よ、わたしたちにも
      祈りを教えてください。
       ルカによる福音書111
 祈ること、これは保護者の皆様も日常生活
の中でしておられるのではないでしょうか。
幼稚園でお子さん方が手を組んで、目を瞑っ
て、声に出す祈りではありません。保護者の
方が幼稚園にお子さんを送って来られて、お
子さんが門を入るまで後ろ姿を見ておられて、
今日も幼稚園で友達と仲良く、そして楽しく
過ごすことが出来るようにと、心の中で願っ
ているのではないでしょうか。これは祈りと
言えます。また、バスで登園されるお子さん
をバス停で見送り手を振りながら、元気で楽
しく過ごすようにと心の中では念じているの
ではないでしょうか。これも祈りです。相手
の幸福を願うものです。また、相手が幸福で
あれば自分も幸福であることが出来ます。
 家族の誰かが国内・国外へ旅行に出掛ける
時には旅の安全を祈ります。
また、農作業関係者は作物が豊作でありま
すようにと祈願します。
お家の方がお子さんお弁当を作られ時、
あれこれと思い巡らせるのではないでしょ
うか。その根底にはお子さんが完食するよ
うにとの願いが込められています。
 お子さんたちは幼稚園で必ず祈っています。
朝のお祈りをいたします。お友達が休んでい
れば病気が治って幼稚園にこれますように、
と。お弁当の前の感謝の祈りをしています。
また、世界中の人々の中で食事をすることが
出来ない方々も覚えています。お帰りの祈り
もいたします。私達職員も祈りによって一日
を始めています。新しい朝を迎えた喜び、お
子さんを迎える祈り。何を祈ればよいのでし
ょうか。誰に祈るのでしょうか。
イエス様は祈りの人でした。弟子たちと寝
食を共にしました。何時もイエス様は弟子
よりも朝早く起きて一人で祈っていました。
弟子たちの間で何を祈っているのだろと話
題になったと思います。また、何時でも祈
りをしていました。そのために、弟子たち
は祈り終えたイエス様に「主よ、私たちに
も祈りを教えてください。」と願ったです。
主が弟子たちに教えられたので「主の祈り」
としていまでも祈られています。緑組さん
3月期になれば「主の祈り」の意味を教え
られ暗記するようになります。「主の祈り」
は目に見えない神様に向けて祈ることばと
なっています。神様をほめたたえる。すると、
祈る者も元気を与えられます。
園長 真砂 良克(まなご よしかつ)